「子ども食堂」が全国に広がっているとのことです。
ボランティアが作った夕食を提供する「子ども食堂」が全国に広がっている。
親子連れが手軽に夕食を食べたり、地域の住民で交流したり。子どもが放課後に過ごす居場所にもなっているため、国も、ひとり親家庭への支援策として、補助金を出して広げていく方針だ。
読売新聞2015年11月6日の記事より抜粋
「貧困」と隣り合わせで、結婚適齢期の私としては、他人事とは思えない記事でした。
なぜ「子ども食堂」が評価されているのか、そして子どもを巡る福祉の役割とは何なのか、私なりの観点で分析してみようと思います。
家族の多様化
「子ども食堂」が評価されている理由の一つに、子どもたちの家庭環境と人間関係が大きく絡んでいるように思います。
今に始まったことではないかもしれませんが、「家族の多様化」が進んでいます。
「家族の多様化」というと抽象的ですが、具体的には家族構成や経済力、文化的背景の多様化が進んでいるということです。
家族構成、経済力や文化的背景が異なる人と出会い、同じ時間を過ごすことは、大人でもストレスなのに、子どもがストレスでない訳がありません。
生活が豊かだから、ストレスがないとは限らないのです。
賛否両論あるかもしれませんが、私は子どものほうが、人間関係が危機的状況に陥りやすいと考えています。なぜなら、子どもは大人と比べて知識・経験に乏しくて、軽い気持ちで人を傷つけやすく、またあっさりと傷つけられやすいからです。
しかも、子どもたちは「教室」という檻の中で厳しい集団行動を強いられます。
好きでもないクラスメートと、同じ時間に同じことをさせられ、我慢を強いられます。
知識・経験に乏しく、判断力の未熟な子どもたちからすれば、「家族の多様化」は人間関係を悪くさせる要因でもあるのです。
「子ども食堂」は、そういった多様化する家族と多様化する子どもたちが社会で居場所を失うぎりぎりのときの避難所のような役割を果たしていると思います。
特に貧困層の家庭では、「子ども食堂」が社会と結びつくきっかけにもなりえます。
空腹で、でも食事を買うお金がない。周りは裕福で、でも誰も頼る人がいない。そんな家庭が増えています。そんなとき、助け合いの精神でご飯を提供してくれるのが、「子ども食堂」です。
生活の豊かな家庭であっても、子どもたちにとって「子ども食堂」は人を理解するきっかけとなる場所となります。
過酷化する子どもたちを取り巻く環境。「子ども食堂」はそれを忘れさせてくれるようなあたたかい空間になり得るのではないでしょうか。
道徳観や倫理観を教える大人たちがいない
私が幼い頃は、親や先生を恐れる気持ちがどこかにありました。圧倒的に「正しい」とされるような模範的な大人たちがそこにはいました。しかし、今はどうでしょうか。
今日も、小学校の教諭が盗撮をしたとの報道が流れ、「あれだけの親や先生の権威はどこに行ったんだろう」と感じます。小学生でさえ、先生に対しては半信半疑になっても仕方ありりません。「先生だってひとりの人間だから、間違うときもあるよね」と解釈できる子どもは大人より大人びています。ですが、正しい道徳観とか倫理観って、それとはまた少し違う気がします。
「子ども食堂」は、学校とは違った形でみんなと同じ時間を過ごします。根底には「優しさ」があります。みんなそれぞれ背景は違うけれども、心のふれあいがそこにはあるはずです。
そういった経験こそが、子どもたちの正しい道徳観や倫理観へとつながる貴重な経験となるのではないでしょうか。
子どもをめぐる福祉の役割
子どもたちは日本の未来を担う存在です。
私たち大人は、何をしてあげられるでしょうか。
私は「子ども食堂」がその答えを教えてくれている気がします。
いろんな事情と痛みを抱えた子どもたちが集まります。裕福な子もそうでない子も、皆一緒にご飯を食べます。小さな小さな社会ですが、子どもたちは、学校とは違った社会を構築するでしょう。
「子ども食堂」が全国に広まり、本当に人の優しさに触れる場や人を理解するきっかけを子どもたちに提供してあげることができたら、私たちは子どもたちの幸福の一助を担うことができ、日本の未来にも安心感を持てるのではないでしょうか。
\ SNSでシェアしよう! /