【みんなのカンファレンス】差別するひと・されるひとについて

2016.7.14 ライフスタイル
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人はなぜ誰かを非難したり差別したりするのでしょう?

自分と違う、普通と違う、周りのみんなとは違うから、そうやって排除しようとするのでしょうか?

私は看護師ですが、精神科の臨床経験が長いため「差別」と聞くと真っ先に「障がい者」のことが思い浮かびます。

私は臨床の場だけではなく、日常生活の様々なシーンで健常者と障がい者の間にある厚い壁の存在を感じてきました。そして「健常者と障がい者の間にはなぜこんなにも乗り越えがたいものがあるのだろうか?」と、非常に悲しい気持ちになります。

 

どうして差別するの?

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Photo by Ferran Nogués

 

差別は「いじめ」なのだということを、誰もがきちんと認識するところから始めなければなりません。

そして、それと同時に「いじめられる側がどのような気持ちになるのか?」といった部分にもきちんと触れておかなければ、このような悲しい事態に終焉はありません。

世の中は「個性を大切に」と言いながらも、それが障がいや、その人の「生きにくさ」に繋がるものとなると急に口をつぐんでしまうという、ちょっとズルいところがあるように思います。

「困っている人には手を貸そう」そういった教育は義務教育の中できちんとされるはずなのに、差別やいじめが完全に無くならないのは、おそらく身近な大人が子どもに充分に伝えてあげていないことも原因のひとつではないかと思います。

私は教室で教科書を開いて教わるだけではなく、もっと生活に密着した場面でも繰り返し意識づけをしていく必要があると思います。

つまり親が我が子に対して対話や実践でもっとレクチャーしていくべきではないかと、そう思います。

 

その人を「病気」として見ない

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看護学生の頃、オペ室実習で遭遇した実話です。

子宮筋腫の患者さんが全身麻酔でこれからオペという場面で、患者さんの取り違えを防ぐために複数人数で本人確認をしていたところ、一人のドクターが「あー、筋腫のひとね」と言いました。

そのほかの日も別のスタッフ同士が「胃ガンの患者さん」など、個人名ではなく病名で呼び合っていたのがどうも引っかかりました。

全身麻酔で医療行為をするような外科(オペ室)の特性上、致し方ないことかも知れませんが、そうだとしてもあえて「○○さん、子宮筋腫」と言ってほしかったです。

好きで病気になる人なんていませんし、その病気で苦しんでいる人もたくさんいます。

そういうバックグラウンドを想定したなら、患者さんを病名で呼ぶなんてできないと思うんです。

病気と言っても色々で、たとえば内科疾患や外科疾患のように治療を受けて治癒するものもあれば、心の病気のように、治癒せずに長い経過を辿るものもあります。

しかしどんな病気もなりたくてなる人なんていませんし、障がいも好きで抱えている人はいない筈です。

そして、そういうナイーブなことを自分に置き換えて考えることができる人は、差別やいじめなんて出来ないはずだと思います。

 

本当の意味で「差別されるひと」とは

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Photo by AngelBeat

 

世の中には2種類の人間がいます。

片方は思いやりや気配りのできる「自分以外の人に優しくできる人間」、そしてもう片方は自分勝手な振る舞いが当たり前で周囲の人なんてお構いなしな「自分さえ良ければいい、傍若無人な人間」です。

障がいを持つ人を怪訝な顔で見たり、排除するような言動を示す人を時折見かけますが、その人があなたに何かしたのでしょうか?

何もされていないのにそういうアクションを起こすのは、「受け手の感じ方だけで判断して、その人がただそこにいるということに対して反発行動をおこしている」ことであり、これってつまり差別ですよね。

それよりも、たばこを道にポイ捨てするような人や、公共の乗り物の中で大声で喋っているような人たちのほうがよっぽど差別や非難されるのに値するのではないか?と思ってしまいます。

本当の意味で差別(や非難)される対象というのは「常識や良心の欠如している人」や「常識や良心が欠如している、言語道断な行動をする人」なのではないかと思うのです。

世の中は今後、障がい者との付き合い方についてどう受け継いでいくべきか、その意識づけについて充足していくべきであり、まだまだ課題は山積みです。

 

おわりに

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Photo by Yasin Hassan – ( Sick )

 

世の中は「障がいがあってもなくても平等に暮らすことができる世の中にしよう」と、少しずつ変化していると思う反面、ハード面だけではダメなんだという気持ちもあります。

目に見えるものはすぐに作ったり壊したりすることができるので、便利にすることは簡単です。

しかし、本当に変えていかなければならないのはソフト面である私たち人間一人一人の意識です。

たとえば誰かを差別している人も、いじめている人も、今持っている意識に対して「それでいいのか?」と真剣に自問自答してほしいのです。

そうして各々が気付くことで、社会全体がもっと良くなることを願っています。

(ゆず蜜)

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