相模原障害者殺傷事件を受けて ~障がい者の立場として思うこと~

2016.7.31 ライフスタイル
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さやや

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2016年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者らが襲われ19人の命が奪われるという事件がありました。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

植松聖容疑者は、「障害者は生きてる意味がない」といった趣旨のことをLINEなどで発言していたという情報があります。

同じ障害者として、胸が痛みます。

 

NHKスペシャル「調査報告相模原障害者殺傷事件~19人の命はなぜ奪われたのか」を見ました。

 

被害者のご家族たちの思い

 

番組では、被害者のご家族たちの思いや、事件までの容疑者の様子、どうして犯罪を防ぐことができなかったのか、制度上の問題などについて触れられていました。

 

特に私が印象に残ったのは、被害者のご家族の方たちの思いです。

 

被害者のご家族の方たちにとって、障害者のわが子はかけがえのない存在です。

被害者のご家族の方たちが一番、障害者のわが子の存在価値を知っているのではないかと思いました。

 

たとえ健常者で一般的な家庭にいたとしても、家族どうしケンカすることだってあります。

意思疎通の難しい障害者がいる家庭では、コミュニケーションだとか考えを一致させることに苦労は多いでしょうが、それでも、被害者のご家族の方たちは、我が子のことを本当に大事にされていました。

 

障害者本人は上手に人と意思疎通ができなくて、自分の存在価値をきちんと言葉で説明することができないのかもしれません。

また、見た目・言動も人から見たら変わっていて、異様で、それだけで他人から忌み嫌われるのかもしれません。

ですが、被害者のご家族の方が語っておられるように障害者の皆さんは「一生懸命頑張っている」のです。

 

私は亡くなられた方たちが皆頑張っていたということー誰も確かめるすべはないけれど、ご家族の方にはわかるというこの話が一番印象に残っています。

単に証明するすべがなかっただけで、きっと皆さんは頑張っていたのです。

 

見た目とか言動とか言葉とかでそれ(一生懸命頑張って生きてること)を証明できないゆえに差別されることは、障害者本人が一番気にしていて、悔しいところではないかと、私は想像します。

 

(もちろん本人たちはそんな風に思っていない可能性もあります。

しかし、障害者は先天的に差別の対象として生まれてきているのだとしたら、すごく不公平で、これ以上の冒涜はありません。本人たちがそれを自覚することがあれば、さぞかしつらいと思うのです。)

 

代弁者の必要性とヘイトクライム

 

障害者は、見た目とか言動とか言葉で「普通と違う」と認識されます。

「私たちだって頑張って生きてるんだよ!」と見た目とか言動とか言葉で証明することができなかったりします。

そのため、私は障害者の権利や存在価値を人々に伝える代弁者の必要性を深く感じます。

 

番組ではヘイトクライムという言葉が出てきました。

ヘイトクライムは、みんなの多様性につばをはく行為であり、障害者に対してだけ向けられているとは思えません。

いつの時代も「少数派」と呼ばれる人たちは存在し、ヘイトクライムは矛先を変えながら、存在し続けるように感じます。

ですが、このような痛ましい事件を防ぐためには、ヘイトクライムに対してノーを言える人が一人でも増えてほしいです。

 

 

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