「障がい者は感動を与えるためにいるのではない」車椅子のオーストラリア人ジャーナリストが語る真意

2016.9.21 いい話
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近頃、日本では様々なメディアが「障がい者のあり方」についての特集をしています。

確かに「障がいをもって生活をする」と言うことは、「障がいを持たないで生活をする」より不便かもしれません。

目が見えなければ、聞こえる情報を最大限に耳の中に取り入れなければなりません。

耳が聞こえなければ、見える情報を最大限に目に焼き付ける必要があります。

世の中には、数えきれない程多くの障がいがありますし、乗り越えて人生を謳歌している人も沢山います。

しかし、障がいをメディアの取り上げ、「感動の対象」にすることが正しいことでしょうか?

オーストラリア出身のジャーナリストであるステラ・ヤング氏が「社会における障がい者のあり方」について語っています。

ステラ・ヤング氏が人生をかけて伝えたかったこと

彼女は、1982年にオーストラリアのビクトリア州の田舎に生まれ育ちました。生まれつき、骨形成不全症という病気を持っている彼女は、人生のほとんどを車椅子で過ごすことを余儀なくされます。

しかし、彼女は普通に学校に行き、バイトをして、家でテレビを見たり、妹さんと喧嘩したりという、障がいを除けば、ごく普通の少女時代生活を送っていました。

ステラさんに転機が訪れたのは15歳の時です。

地元のコミュニティから、「達成の賞を送りたい」という連絡が来たのです。

ステラさんは、賞を貰えることは嬉しいことですが、私は何も達成していません。何も特別なことはしていません。と思ったそうです。その時に、「社会は、障がい者を感動の対象としてしかみていない」と感じたと語っています。

その時から、彼女はビクトリア州の障がい者コミュニティの一員となって、「障がい者と社会のあり方」について語り始めるようになりました。

高校卒業後、ディーキン大学とメルボルン大学で学生時代を過ごし卒業後は、メルボルン大学付属中高等学校で先生をしていた時期がありました。

授業中、とある生徒がこのような発言をしたそうです。

「障がい者として、感動的なスピーチをしてくれませんか?」

その生徒さんは、障がい者=感動を与えるモノとしか捉えることしか出来なかった。それは、その生徒さんのせいではなく、そのような考え方を作り出した社会に問題があると同時に語っています。

そんな彼女の講演の映像がここにあります。(日本語訳付)

感動ポルノ

ステラさんは、「感動ポルノ(Inspirational Prone) 」という単語を作りました。それは何故でしょうか?

その理由は、多くのメディアが障がい者の人たちをモノ扱いにして他の人が得するようなシステムになっているからだと熱弁されています。

多くのメディアが、健常者が障がい者を利用して、感動させ、やる気を起こさせる目的にしていることをとても残念に思っておられます。

障がいのある身体をもった人生は大変であり、乗り越えることはたくさんあります。しかし、彼女は自分の身体を受け入れ、身体の可能性を最大限にいかして生きてきました。

どの障がい者の人も、特別な事をしている訳ではなく、ただ本人達のベストを尽くしているだけです。メディアの感動の対象になることはしていないとも、語っておられます。

彼女が求める世界は、「障がいが特別視される世界ではなく普通だと思われる世界」と講演の最後に語っておられました。

しかし、彼女はその講演の8ヶ月後、32歳の若さで他界してしまいました。

ステラさんが亡くなってしまった今、彼女が心から願っていた「障がいが特別視される世界ではなく普通だと思われる世界」をわたしたちはどのようにして作りだすことが出来るでしょうか。

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