双極性障害と薬物依存症があっても働くことができる! ~作業療法士と農福連携との出会い~

2017.8.13 いい話
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フジサン

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フジサンです。

今回は、私が普段共にはたらく障がい者さんのメッセージをお届けしたいと思います。

 

Oさんと出会ったのは約1年前。

精神科病院からの紹介でハーブ園に来られました。

当時のイメージは、農業なんて汗まみれ泥まみれ、それにたくさんの虫がいる場所で仕事なんかできん!嫌や!という印象でした。(笑)

ちょっとやんちゃなおばちゃん。でも、心の中には優しさを秘めた方…というのが第一印象でした。

そんなOさん、少しずつ回復していく中で、いろんなことを克服していきました。そしてこれからの人生をしっかりと考えながら、私たちと共にはたらいています。

そんなOさん自らの「等身大となって障がいを持つ人を支えたい!」という想いから記しました。

 

Oさん 46歳 女性   病名:双極性障害、薬物依存症

 

負けない私の記録

私が、今こうしている事、何から伝えれば?発信?いいたいこと。

私の体験談を言葉にして人に伝える事が一番難しいですが、自分なりの言葉にして表現したいと思います。

 

1)うつ病発症から薬物依存へ

人生で初めて、うつ病と言われた時、「ハア~~~ッ??」「なんじゃそりゃあ~」状態で、他人事の病気と思っていました。私は、ストレスとは無縁だと思っていました。その時は、真剣に私が地球を回している様な思いで生活していました。(俺様的な思いでした。)

6年ぐらい前うつ状態の時、自分の好きな事だけに夢中になれました。興味のない事にはとことん無関心、無感情、そのうえ歯磨きやお風呂に入る等々できずにいたにも関わらず、自殺未遂をしてしまいました。その時に、妹から「めんどくせぇーなっ」と怒られてしまい、そう自分でもわかっていたのに、その一言がとどめとなり、実家暮らしをやめて、元々借りていたアパートに帰り、再び一人暮らしを始めました。

 

元々パニックや過呼吸がありましたが、1人で、買い物や公共の場に出る事が増え、発作の回数が増えました。外に出るのがおっくうになり、引きこもりになりました。引きこもりの時は、部屋が汚い事で、自分がダメ人間みたいに思えて、より一層潔癖症に、はくしゃがかかり、泣きながら掃除ばかりしていました。

私の場合、臭いも人一倍敏感で、特に体臭が気になります。自分のもです。家でも外でも、手洗いをやり過ぎたり、髪毛や体毛が落ちていると気持ち悪くてダメでした。

あと外出する時に、電気の消し忘れやガス栓の閉め忘れ、窓の鍵のかけ忘れ等々、決局1~2時間その繰り返しで、嫌になり外出したくなくなりました。それから私の体験では、幻聴は実際に聞いた言葉が、記憶の中に残り、色々考え、その時の言葉がハッキリと幻聴として聞こえて、嫌な記憶が鮮明に思い出され、パニックや過呼吸になりました。

こう言った事を繰り返し、当時裏社会の中にいた事や、双極性障害の薬をやめたくて、覚せい剤に手を出しました。

毎日法に触れる生活をしていました。

ある時、人間関係がこじれて、仲間だと思っていた人から「死んでしまえ」と言われて、大量の薬を飲んでしまいました。知人2人が仲間だと思っていた人に対し、嘘を言いつけて私が悪者になり、私を罵倒してきました。その時に、私の事を何で信じてくれないんだろうと思って、“私が悪い”とか“私の責任だ”自分を責め続け、今迄、何回も死にもしないのに自殺未遂の繰り返し、今思えばバカ気てる。でもその時は、本当に死にたいと思っていました。そして、大量服薬し自宅で暴れ、近所の人に110当番通報され、さらに留置場でも暴れたため、精神科病院への措置入院となりました。

普段の私なら後先を考え面倒くさい事はしません。

この時の事は、全く記憶にありません。

 

2)精神科病院での入院生活

病院に入院してから、私を変える人や出来事がありました。

同じ閉鎖病棟に入院していた患者のばあちゃんの存在でした。

ばあちゃんは、ヘッドギア着用の車イスに乗っている人で、一人では何も出来ない人でした。入院当初は、私をイライラさせる存在でした。何故あの人は、私をイライラさせるんだろう?と思い、相手の立場になってみようと思い、看護師さんに「あの人は何?」と聞き、「口の悪い可愛いばちゃんやよ。」と聞いてから、なぜか気になり、よく話しかけるようになりました。初めは、叩かれたり、男と間違えられていました。関わる時間が増えるにつれ、お互い笑顔がでてくるようになり、ばあちゃんの言っている事、何をして欲しいのか、なんとな~く分かるようになりました。何時しか、私のストレスの元ではなくなりました。それと、病棟に居る人々をみて、生きるとは何か?と考えさせられました。私はその時、考える時間を神様がくれた様な気がしました。

ある時、ばあちゃんに「お前みどりちゃんになれっ!!」と言われました。そのみどりちゃんとは、病棟で働いている助手さんの事です。その時の気持ちは、ヘルパーの資格がないと、手助けをしてあげようにもできない事に気付ました。今の自分では、資格もとれないと思い、初めて真剣に自分の病気と向き合う気持ちになりました。そのばあちゃんの一言で私は目覚めました。

3)作業療法士との出会い

その後退院しましたが、人を信じきる事ができず、また上手に頼る事も出来ず、短期間に入退院をくりかえしました。

その中で、病院の看護師さんや作業療法士さん達との関わりが深まっていき、自分を好きだった時に戻りたい、人を好きになりたい、この人達なら信用出来ると思いました。人対人の作業療法の時間があり、私を変えてくれるきっかけをつくってくれました。変わったのは自分だけど、私のやる気を上手に引き出してサポートしてくれたり、時にはブレーキをかけてくれたりしたのが作業療法士さんです。

私の背中をポンッと押してくれる人に出会えました。

感謝しています。

元々モノ作りや料理が好きな私は、何事にもチャレンジしたくなります。作品が出来上がった時に達成感があり、気持ち良くなる感覚が好きです。マイナス点もあります。あれもこれも手を付けて、中途半端になっている物もありました。得意分野だけして、苦手なものはしないという所もあります。

今は、一つ一つ完成させて、次の作品に取りかかれるようになっています。時々気分のムラがあり、あれこれと手をつけそうになったり、気分が落ちて自分を責めてしまう事もありますが、信頼できる作業療法士さんや看護師さんの助けがあり日常生活が送れています。

 

4)家族の存在

もう一人Kちゃんという存在がいます。弟のお嫁さんです。血縁関係はありませんが、実母とKちゃんの間を取りもった様な事がきっかけで仲良くなったと思っています。

それから程なくして私がC型肝炎の治療中、薬の副作用でうつ病を発症して、約半年間ぐらい弟の家で面倒をみてくれていました。私の現在過去を知っても受け入れてくれ、年下ですが、もの凄く頼り甲斐のある良き理解者です。今でもお互いの家を行き来したり、私が落ち込んだり、悩んだりした時に、気軽にSOSを出す事が出来ています。作業療法士さんたちと、同じぐらいKちゃんは大きく、日常生活を安定して送れている存在の一人です。

 

私が病気と向き合って思う事は、他人や家族から助言されても受け入れられる状態ではないのも理解出来ますが、本当に自分がもっと気楽に生きていく為には、自分を一番好きになる事、自信を持つ事が大切です。

今では、掃除や毛に対しては、「まいっかあ~」、「死にゃあ~せんわ~っ」と軽くあしらえています。火の元に関しては、IHに変えて、気にならなくなりました。家の戸締りに関しては、鍵をかけてから、ドアノブをガチャガチャして声に出して「OK!!」と言っています。そうして、大丈夫という気持ちになれています。

私は、自分の病気と過去をOPENかCLOSEにするかと言えば、前者であります。今もこれからも、自分を恥じる事無く生きていきたいです。

ある意味、戒めの為かもしれません。

今でも毎日、薬物の魔物と戦っています。脳が覚えている以上夢にも見るし、フラッシュバックもあったりですが、裏社会で散々な目にあってきて、自分に対して負けたくない気持ちと、信頼してくれている人たちを裏切りたくない気持ちがある為、悲観的にはならず、前向きに戦って行こうという気持ちになれています。

5)就労へ挑戦

現在は、農福連携に取り組む就労継続支援B型事業所の「リハスファーム」に行っています。最初話をされた時は、農福?農業?福祉?どっち?。そもそもカエルがいるので行きたくない気持ちでいっぱいでした。しかし、少し農業に興味があったのと、作業療法士さんの勧めもあり、体験に行く事ができました。

体験では、出だしからカエルと遭遇し撃沈ました。

その時、利用者の一人が即対応してくれました。それを見た私は、“ここに来れる”と思うきっかけとなりました。今では、ハーブの香りに癒されながら、気持ち良く作業できています。またスタッフや利用者さんたちと話をしながら、楽しく仕事をしています。

農作業には、私が苦手とするカエルや虫がいますが、そのうち慣れるだろうという気持ちでいます。本当ならその場から立ち去りたい気持ちですが、助けてくれる仲間がいるので、頑張って仕事ができています。私は、植物(ハーブ)に触れていくにつれ、育てる事に喜びを感じる様になり、人に対してもそうなれています。心に余裕があり、人に対してもそう対応出来る自分になれています。

リハスファームには色々な人が、働いています。モニタリングして楽しむようにしています。

相手のマイナス面をその人の個性というか、キャラと思い、多くを求めずに、楽観的(客観的)に対応しています。決して、相手をバカにしているわけではありませんし、見下しているわけでもないです。利用者の大半が年下で、親目線のような気持ちです。

これからの私は、病気と共生していこうと思っています。まだまだ日本は米国と比べて、精神障害者に対する偏見が多く、社会での受入口が少ないです。精神科に通っているというだけで、きちがい扱いされているような気がします。(まあ~きちがいなんですが)

ですが私は、双極性障害という病気を持ちながらでも、働けている為自信があり平気です。胸を張って、精神科病院に通院中と隠さずに、これからも生活していきます。

 

6)私のこれから・・・

私の好きな言葉があります。

人生の厳しい現実への受け止め方の違いや、一人ずつ違って当然の様々な価値観、その多様性を受け止めたい。そのうちの中で、コミュケーションの取り方、音楽・絵・ジェスチャー、様々な方法で取る事ができる。一番大切なのは自分の中で、「伝えたい事」をしっかり持つ事です。どう伝えるかは、勉強して次に生かせば良い、そうすれば自然とコミュケーションが取れて、人との関わり方には、無限の可能性があると思う。

この人の言葉に、私は共感しました。

またこの人の言葉で、「苦しい時には逃げてもいいし、弱音を吐いてもいい、誰かに頼ってもいい」という選択肢がある。「前向きに走り続ける事だけが正解ではなく、時には逃げる事も勇気でありその中から自分なりの希望を見いだせばいい。」

それで私は、自分を振り返って、作業療法士さんにも同様の言葉を教えてもらったと気付きました。また物事にとらわれ過ぎず、失敗しても大丈夫、次に同じ事で失敗しなければ良いという、ポジティブな考え方になれました。

誰も未来の事なんかわかりません。今を大切に生きたいです。そう思わせてくれたのは、作業療法士さん達です。作業療法士さんは、心の整備士さんみたいだと思いました。作業療法士さんの仕事は、とても私達(当事者側)には、かけがえのない存在だと私は思います。なかなかドクターや看護師さんみたいに、誰もが知っている職種ではないですが、私の良い部分をかいつまんで出してくれる役割をしてくれたり、悪い部分は、こうすれば良いんじゃないとアドバイスをくれ、私は一番大切な職だと思いました。なのでドンドン頑張ってもらいたい人達です。

病気とひとくくりにすると、色々な症状がありますが、私が思うに基本本人が、どうしたくて?どうなりたいか?その本人の意識の問題であると思います。いくら周りがアドバイスしても、当事者の心が社会復帰したいと思わないかぎり無理なわけで、そのあと押しをしてくれるのが作業療法士さん達だと思いました。

今私は、障害があっても働けて楽しいという事を当事者側からピアサポーターとして、患者さん達に伝える活動をしていきたいと思います。

リハスファームから病気があっても働く事ができるという、その素晴らしさをドンドン社会に発信(心)して、社会に進出していきたいです。

また、当事者側からの目線で障害者や依存症の方に寄り添っていけたら良いなと思っています。その為には、事例が必要だと思います。ないのであれば作って頂けませんでしょうか?私は、この短期間で前向きになれた事が何よりの事例ではありませんか?

病院や地域ではたらく職場から発信していきたいです。

なので、皆様方の協力が必要になってまいりますので、宜しくお願い致します。

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