安定志向なのに、新規事業を支える作業療法士のキモチ

2017.10.1 インタビュー, いい話
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こんにちは!Comedi編集部です!

Comedi編集部では地域医療現場でがんばる人に焦点をあてて、皆さんに地域医療のイマをお届けしています。

 

今日は、大学病院から一転、地域医療-福祉へ飛び込んだ作業療法士の越後さんにインタビューさせていただきました。
越後さんは、大学院時代に知りあった作業療法士の岩下氏が始めた会社の立ち上げメンバーとして地域医療-福祉の道を歩んでこられました。

6年前に岩下氏とともに始められた訪問看護ステーションはいまや金沢市内で最大級の大規模ステーションとなり、

4年前に始められた就労支援事業所では、障がい者さんと作る木の商品が日本のおもてなしセレクションを受賞するなど、新しいことをどんどん取り入れいまや飛ぶ鳥を落とす勢いでの成長をされています。

 

高齢化が年々深刻化し、社会保障費など国の政策もころころ変わり暗雲立ち込める医療-福祉業界。

そんな業界に身を置くコメディカル職の中にも、漠然として不安を抱えている人は多いのではないでしょうか。

 

自分の将来や成長に対し、不安があるけど一人で独立してやっていく勇気はないという人のために、

今回は、成長を続ける会社の創業者へインタビュー!!!!

 

 

・・・ではなく、その陰で支える縁の下の力持ちさんにスポットライトを当ててインタビューしてきました!

 

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越後 亮介氏

1983年生まれ

金沢大学大学院卒

作業療法士、保健学博士

大学病院精神科病棟に勤務後、2012年より金沢QOL支援センター株式会社に入社。
訪問看護ステーションの開所に携わる。さわやかなスマイルと、穏やかな性格を生かしながら地域で最大級のステーション作りに寄与する。
2014年より就労支援事業の立ち上げにも参画。就労継続支援A型事業所の利用者の出席率(出勤率)は常に90%越えているなど、作業療法士として利用者のフォローを先だって行っており、独自の支援システムを作りあげている。

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-Comedi編集部と申します。今日はよろしくお願いいたします。

よろしくお願いします。

 

 

-まずは、なぜ作業療法士になろうと思ったのかを教えて下さい。

昔、野球やっていたので、理学療法士とか作業療法士とかの職業のことを知ってはいたんですね。

自分自身がお世話になったことはないけれど、身近に感じていたし体の専門家としてスポーツ選手や困っている人の役に立てるのっていいなと思っていました。

それプラス、羊たちの沈黙をみてプロファイリングってかっこいいなと、思って心理学とか精神科に興味をもちました。

作業療法士は精神科でもリハビリができると知ったので、自分の興味のあるリハビリと心理学、どちらもできる仕事で一石二鳥じゃないかと考え、作業療法士になりたいなーって思うようになりました。

 

-作業療法士としてはどのような経験をされましたか

大学院を卒業後、大学病院の精神科作業療法士として仕事をはじめました。

精神科病院には若い患者さんも入院されており、「早く退院して仕事がしたい」「しっかりと自立した生活を送りたい」という思いを持たれている方がたくさんいらっしゃいました。

私も作業療法士として、そのニーズに応えたいという想いで作業療法でのリハビリを行っていました。

でも、せっかく退院されてもすぐに病院に戻ってきてしまったり、入院が長引いたりと自分の思い描いている結果につながらないことが何回もありました。

どうしたら患者さんのニーズを実現できるのだろうか、社会での生活を支援するためにはどうしたらいいんだろうか、自分の仕事は本当に役に立っているのだろうか、と悶々とした日々を送っていました。

 

ちょうどそんな時期に、当社代表の岩下に「一緒に地域で働きませんか」と声をかけられたんです。

 

 

岩下は私の大学院時代の後輩で、喫煙所で話をしたり飲み会に行ったりとよく一緒に遊んでいました。

当時から岩下は「全ての人が自立して暮らせる社会を作りたい」という思いがあり、創業を意識していました。

学生時代に岩下からそういった話を聞くこともありましたが、学生だった私はどこか他人事のような思いで聞いていました。

大多数の人と同じように、私も「とりあえず病院」という固定概念があったので、それ以外は考えていませんでした。

もちろん応援する気持ちはすごくあったんですが、「自分とは違う道」と線引きをしていました。

 

 

まぁ、大体は一緒に飲んでふざけていたので、そんなまじめな話をする機会も少なかったですが(笑)

 

 

でも、病院に就職し患者さんと実際に向き合っていく中で私自身も、病院でできることに限界を感じるようになっていました。

そういう状況で、岩下から改めて話しを聞いたときに病院以外を選択肢として考えることができたんです。

 

岩下は、障害者の復職支援や精神科のデイケアをやりたいと言っていて、自分のやりたいことと新しいことにチャレンジしようと思ったタイミングとがぴったりはまったので地域に出るという決断をしました。

 

 

 

でも、結局最初始めた事業は訪問看護ステーションでしたが。(笑)

 

 

 

-蓋あけてみたら訪問看護事業所で話とちがうやんって感じですか。

 

まぁまぁ・・・(笑)

でもいずれはやるって話だったし。

 

まぁ、最初は自分のやれることをやろうと思っていましたし、基本的には、岩下が先頭切っていろいろと決めて私はそれをフォローをする役割だったので、そこまで抵抗はなかったです。

 

というより、最初は右も左もわからず何をするにしても一から手探り状態だったからそんなことを思う余裕がなかったのかもしれません(笑)

 

 

(※岩下氏のエピソードについては、以前インタビューさせていただいておりますので、ぜひこちらもご覧ください。)

 

 

-事業の立ち上げって、どういった仕事になるのですか?

最初は利用者さんがいなかったので、とにかくたくさんの事業所と連携できるよう広報に行きました。

ケアマネさんのところを回ったり、病院回ったりそんな毎日でした。

連携活動は、すぐに結果ができるものではないので毎日続けることは大変でしたが、

担当さんといろんな話がでてき楽しくもありました。

 

もちろん、訪問リハビリにも入らせていただいていましたが、

もともと身体障害領域のリハビリは経験が少なかったので、私にとってとても苦労した業務のひとつでした。

 

それに加え、スタッフの管理業務や書類管理などにも追われていました。

 

ありがたいことに、少しずつ利用者さんもスタッフも増えていっていたのですが

現場のスケジュールや対応フォローなど細かい仕事もそれに伴ってもちろん増えていくので、今思い返すと立ち上げ当初より、スタッフや利用者様が増えてきた2、3年目のほうが大変でしたね。

特に、会社として色々整っていない中でしたので退職者も多く、業務負担と精神的負担もありました。

 

まぁ要するになんでも屋ですね。(笑)

 

岩下も訪問リハビリや人事のこと、行政への申請などいろんなことをやっていましたが、徐々に自然と、現場は私、会社全体のことは岩下と業務分担していくようになりました。

そうやって岩下は会社の顔に、私は会社の体となりました。

 

-なにかを始めることも壁はありますが、それを「続ける」ということもまた別の大変さがあるのですね。でも、その3年後、就労支援事業の立ちあげもされておりますよね。2回目ともなると以前よりスムーズにできるものなのでしょうか?

 

 

いやー、普通に大変でしたよ(笑)

 

最初は訪問看護ステーションの業務も並行してやっていましたし、なんなら1回目のときより忙しかったかもしれません。

でも、就労支援がやりたいって入ってきた作業療法士の藤島(クリエイターズ株式会社現取締役)もいたし、行政への必要な申請書類とかはわかっていたので、そういう意味では幾分スムーズだったかもしれません。

それでも訪問事業とはまだ全然別物でしたし、結局一つ一つ勉強です。

ただ、元々患者さんの社会参加の支援がやりたいと病院から飛び出してきたので、やりたいことができるって前向きな気持ちがありました。

それに、こちらも藤島が先陣切っていろいろとやってくれたので、私は現場を安定させることに注力しました。

 

先ほどの話とかぶることにはなるのですが、事業や部門の代表者は大枠を決めたり外部とのやりとりが仕事になります。

そのため、現場のスタッフをまとることや利用者さんのフォローは現場にいる私の役割でした。

だから、みんなが楽しく働き続けられる職場になればいいなと思って仕事をしています。

 

それでも、就労支援をしていく中で、事業所を辞めらる人と直面し私がしてきた支援は果たして正解だったのだろうか。

もっといい支援ができたのではないかと思うこともしばしばです。

 

例えば、2年ほど事業所に通っていた統合失調症の方です。

話すと長くなるので詳細はまた別の機会にしたいと思うのですが、飲食店で働きたいという思いがある方で、その目標に向かって支援を行っていました。

しかし、方向性が合わないということで飲食店で働き出す前に事業所をやめてしまた。

少しずつ良くなってきたきていると感じてはいましたが、対応としてあれが最善だったのか自問自答を繰り返しました。

 

 

またそれと同時に、売上や利益など経営の部分も考えて管理をしていかなければならないので、支援と経営両方の観点でみて最善かを考える必要があります。

そういったことは、病院勤務時代は一切考えたことがなかったので、病院を飛び出した時点は想像できなかった壁が本当にたくさん立ちはだかっています。

会社を支えていく立場としても、いち支援者としてもわからないことだらけの毎日で、病院やめたの早まったかなと思うこともあり…(笑)

 

でも、素敵なスタッフとともに働けているのでなんとかやれています。

 

就労部門も今や4年目を迎えていて、農福連携という新しい取り組みも始められているし、少しずつですが、いい方向に進んできているとは思っています。

(※藤島氏のエピソードについても、以前インタビューさせていただいておりますので、ぜひこちらもご覧ください。)

 

 

-最後に、これから越後さんの夢を教えて下さい!!

 

夢?!

 

うーーーーん、夢、、ゆめ、、、ゆめ、、、

 

 

 

でてこないですね(笑)

 

 

 

でも、これから会社はどんどん大きくなっていくから、それの手伝いをしていきたいと思っています。

 

さっきも言ったけど、今ここで働き続けていられるのは、一緒に働くみんなのおかげなので

 

そのみんなが働きやすい環境にしていきたいな。

 

そして、もちろん就労支援に来てくれている利用者さんに対しての支援ももっと質の良いものにしていきたいです。

とくに一見問題なさそうな利用者さんでも実は内面に色々抱えてて、それが爆発してしまうこともあります。

そういうのが出てきてしまってからでは遅いので、防げるようにしたいです。

そうすることで、利用者さんもスタッフも働きやすい環境になってくると思っています。

 

代表の岩下や、取締役の藤島みたいにこれにむかって!ってのはないけど、こうやって現場を整えて支えていくのが私の役目だと思っています。

 

あとは、今みたいに楽しく仕事して、私生活も落ち着いていければいいかなぁーと。

 

 

 

編集後記

私の中で、いわゆるベンチャー企業や、事業の新規立ち上げを担っている方々って、THE・体育会系だったり、超意識高い系だったりでちょっととっつきにくい固定概念が少なからずあったのですが、今回越後さんをインタビューさせていただいてイメージがごろっと変わりました!

自分が全面に立って、派手な活動をするのではなく縁の下の力持ちとして、働く仲間も利用者さんも支えていく。そういう役割分担で新しいことや困難な道にチャレンジして行くやり方もあるんですね。

人知れず色々と苦労されている越後さんですが、それを感じさせない柔らかくて飾らない雰囲気がとっても素敵でした。

 

熱い想いや志のある目標を持って突き進んでいく人と、越後さんのように足場を固めて整えていく人がいて初めて、双方が輝くのだと改めて考えることができました。

 

特別な人じゃなくても、特別なスキルを持っていなくても、チャレンジできる。

 

自分のスタンスで、自分の役割で社会に価値を提供していきたいですね。

 

 

 


  

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