作業療法士の若手起業家に聞いた話。その2 〜創業時の出来事〜

2016.1.7 インタビュー, いい話
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前回に引き続き、金沢QOL支援センター、代表取締役である作業療法士の岩下さんのインタビュー記事をお送りします。

 

正直、創業って大変じゃなかったですか?お金はどうやって作ったのですか?ー

岩下琢也

はい。

めちゃくちゃ大変でした。(笑)
会社の起こし方なんて、もちろんわからなかったのでまずはとにかくお金を貯めるしかない!と単純に思いました。

 

必死に働いてお金を貯めながら、会社とはなんぞや?どうやって設立するんや?ということ。
そして、どんなこと、どんな事業を通して地域医療に貢献するのかを考えていこう!と選択しました。

 

その時、ワタミの渡辺美樹氏の書籍を読んで、佐川急便で1年で300万円を貯めて創業したことに刺激を受けていたので、

 

「よし!1年でとりあえず300万貯めるぞ!!」

 

という目標を立てました。

 

そして、血の滲むような努力、、、。
という感じではなく、大変ではありましたが、目標に対してスイッチが入っていたので割と楽しく働くことができました。

 

実家に住むこともできたので、順調に毎月30万くらい貯めることができ、創業の種金を作ることができました。

 

どうやって30万貯金しながら、起業の勉強をしたか、、、というと、正社員でデイサービスで働きながら、民間病院のデイケアのパートとしても働き、週に6~7日ほど働いていました。
たださすがに、週に6~7日働いていると、じっくり本を読んだりする時間はあまりなかったですね。

 

少しでも勉強をするために朝早く仕事に行き、車の中で読書をしたり、通勤は常に車だったので、車の中で様々な起業に関するCD、能力開発、成功者、リーダーのCDを聞いたりして、勉強していました。

 

今まで医学の勉強しかしたことなかった私にとっては大変刺激的で、大きな学びとなり今でもその時に相当貪欲に勉強してきたことが糧になっていますね。

 

で、すんなり起業できたんですか?

(編集)DSC_1448

そうですね。
もちろん「すんなり」は起業できておりません。

勉強はたくさんしたんですが、やっぱり「自転車の乗り方」をいくら本で呼んだり、聞いたりしても自転車には乗れないのと一緒で、本当に経営ができるか不安で不安でしかたがありませんでした。

 

ただ、あるご縁をきっかけに介護事業を担っている社長さんと出会うことができたんです。

その社長さんに大変可愛がって頂けまして、その会社では介護事業のフランチャイズ展開のようなことをやられていたので、それを6ヶ月ほど少し手伝わせて頂きました。

 

分からないことばかりでしたが、事業計画の作り方、営業の仕方、そしてお恥ずかしながら、名刺交換の仕方も初めてこの時学べたんです。

6ヶ月間お手伝いさせて頂いて本当に本当に勉強になりました。

 

その経験もあって最初は創業時にお金を作ることが第一の壁だと思いますが、

他資本を調達する際に(いわゆる借入)、地方銀行さんに事業計画書やプレゼンを評価され、難なく資金調達することができました。

 

そして、次に最も大事な「人」を集めること。これはすごく大変でした。

結局お金を貯めながら、様々なことを考えて自分がまず実施したい事業形態はどんなものだろう〜。と模索していた結果。在宅で医療を提供できる「訪問サービス」だ!という考えに落ち着いていました。

 

リハビリテーション職で訪問リハステーションを開設することは現行の法律では不可能なので、「訪問看護ステーション」という形をとり、在宅で医療、リハビリテーションが必要な方に「真のQOL向上の支援を」というミッションを掲げ、ステーション設立することにしたんです。

 

そして「人」を採用しなければならない。

 

尊敬する作業療法士の先輩が一緒になって創業メンバーに加わってくれたところまでは良かったのですが、看護師さんを3人程度集めることが本当に困難で(訪問看護ステーションは最低看護師さんが常勤換算で2、5人が必要)、毎日考えられる限りの採用のことを毎日やりつくしていましたが、中々採用できませんでした。

 

法人を設立してから、ステーションを開設するまで「人を集められるか?」ということが心配で、不安で本当に眠れない日々が続きました。

結果的には、なんとか前職のご縁が繋がり、常勤2名、非常勤2名を採用を採用することができ、無事2012年4月に訪問看護ステーションを設立することができました。
ただ実力ではなく「運」が良かったな〜。
と本当に思っていますし、その時応援してくれた方達には今でも感謝してもしきれない気持ちですね。

 

創業してからは?すぐに順調にいきましたか。お金の問題とか…

いや~。ほんと大変でしたよ~。

創業当初は、最初はやはりその通りで「お金」の問題が一番でしたね。

余裕をもって借入したつもりでしたが、診療報酬や介護報酬は2ヶ月後に現金になる、ということがイマイチどのようなことかわかっていなかったので、いわゆるキャッシュフローがピンチになりました。(笑)

 

岩下琢也

                  (ピンチな様子をやってもらいました。)

 

つまり順調に地域に必要な訪問サービスを提供はさせて頂いていたのですが、サービス提供量が多くなると「人件費」は必然的に高くなるので、2ヶ月間、現金が入ってくる前に毎月膨らむ給与費が出てしまうことになっていったので、すごく当初はヒヤヒヤしていましたね。

 

しかし、何故か自身の中に

 

 

「患者さん、利用者さん達に、そして地域に良いことをやっているんだからきっとなんとかなるぞ!!」

 

 

という漠然とした自信のようなものがありましたし、将来像はプラスなイメージもできていたので、結果的には追加で借入等もすることなく順調に事業としては成長していきました。

 

創業して良かったな。と思うことはありますか?

ありすぎて話すと1日以上かかると思います。(笑)
何より、たくさんの「夢」「願望」が叶っていったのが本当に嬉しかったですね。

 

岩下琢也

 

・看護師とリハ職がフラットに連携し、利用者さんのQOLの向上というベクトルで地域医療を提供する。

 

・精神科訪問看護を看護師さんとOTで地域で中心的に担っていく。

 

・「できない」と最初から全て諦める事業所ではなく、「難しいけど、できるかもしれない」という機会を常に発見し、支援できる事業所にする。

 

・地域でたくさんの事業所とシームレスな連携ができるように、「顔の見える連携」を医療職の方から推進していく。

 

 

これらは開業当初からイメージしていた理想ですが、全て実現していくことができました。

今でもたくさんの大変なことはあるのですが、少しずつ、自分とスタッフが理想とする医療-介護サービスを創造し、社会に価値を提供していっております。

 

最近では、先ほどもお話しました、若い生産年齢の方の社会復帰を目指して、障がい者就労支援の一環として、デザイン、WEB、農業、飲食事業を展開しております。

 

つまり、訪問看護で在宅支援にてADLが向上し、「家での」生活が安定した方に対して、次は「社会での」生活が安定することをアプローチとして働く場として事業展開をしているんです。

 

障がいがあっても稼ぐ!!

 

というビジョンを障がいスタッフとともに共有し、日々社会的自立を目指して、共に働いている障がい者の仲間がたくさんいます。

 

岩下琢也

                     (農業での就労支援の様子)

 

私は「大変」という言葉はいつもすごくポジティブに使っていまして、

「大きく変化(進化)する」と常に考えています。

 

これからも患者さん達も、スタッフさん達も、社会も、皆が幸せにWINWINになる事業を展開していきたいと考えています。

 

その3「今後のビジョンのお話」へ続く。。。

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