障害者の私が最近始めた新しい習慣があります。
日々の楽しかったこと、うれしかったこと、怒ったこと、悲しかったこと、つらかったこと・・・などを紙に書き出し、そのすべての文の後ろに、「だから私って最高だ」と書き加えるのです。
明らかに文脈的におかしいときがあります。しかし、文脈的におかしい時にこそ、これをやる意味があるのです。
失敗が失敗ではなくなる
- 「前勤めてた会社で失敗し、みんなに迷惑をかけた上、責められた。私って最高だ!」
これを見て、皆さんどう思いますか?中には全力でこの文章を否定しようと思われた方もいるのではないでしょうか。文脈的におかしいのです。前の文は、悪いことが書かれていて、
後ろの文は自分を肯定することが書かれてあります。前の文の内容的な「ことの重大性」を考えると、私のことを開き直っているといって非難する方もおいでるかもしれません。
私はこの文章の内容の正当性を主張したい訳ではありません。
しかし、この文章は、物事の見方と出来事の意味、私の最悪な気分を塗り替えてくれるには十分でした。
私はこの文章で救われたのです。
私って、ありがたい経験をさせてもらえたんだ、という気持ちになったからです。
後悔と自責の念でいっぱいになっていて、誰もがフォローも励ましも慰めもしようがないこの出来事に、誰の力も借りずに自分の力で気分を入れ替え、立ち直ることができました。
しかも後ろの文は、言ってみれば自分と自分の人生を肯定している文章です。最後にその文を続けることによって、前の文に書かれていた内容は、自分の人生の糧とすることができたのです。
過去が変わり、未来が変わる
その他にも、「私って最高だ」と付け加えることにはこんなメリットがあります。
人は過去の積み重ねで今を生きてる一面があります。
いくら過去は振り返らない主義の人であっても、「今自信のあること・ないこと」、「今得意なこと・不得意なこと」などは過去の蓄積によって生じたものではないでしょうか。
生きてると、「自分なんて大嫌いだ!」と叫びたくなる瞬間があります。自分を呪いたくなるときもあります。「自分なんて大嫌いだ!」というにはそれなりに根拠があるようにも思います。
それなりの根拠があった上での自分の自分に対する評価が、「自信の有無」「得意・不得意」を作っているはずです。
しかし、人の過去を根本的にリセットしてくれるのが、この「私って最高だ」という言葉なのです。
- 「私は容姿にコンプレックスがある。私って最高だ!」
私がこれを書いた瞬間、私の頭の中で、いろんな過去が駆け巡り、その全てが嫌な思い出だったはずなのですが、一瞬で全て意味のある出来事になってしまいました。
そして、私のなかで、過去の位置づけが変わった瞬間、自信がむくむくとわいてきたのです。
それは、「自分って美人だ!」という自信ではなくて、「こんな容姿でもこれまで頑張って生きてきたんだ!すごい!私ってえらい!」という自信でした。
さいごに
私がこの習慣を始める前は、私は極めて甘ったれで人に依存して生きてきたように思います。つらい気持ちを消化しきれず、人からの温かい言葉を待っていたようにさえ思うのです。
しかし、人から温かい言葉を受け取る必要はなくなりました。自分の力で、自分の人生に価値を見出すことができるようになったのです。
皆さんもぜひチャレンジしてみてください。きっと、皆さんのつらい過去も、意味のある出来事に変わって、悲しい気持ちも吹きとび、すべてが自分のために起きた出来事だったんだと感謝の気持ちがわくはずです。
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