変わりゆく精神科病院(精神科医療) ~私の経験を通して~

2016.4.29 在宅医療
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フジサン

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皆さんは精神科病院にお邪魔したことはありますか?医療従事者の中でも精神科病院のことはなんとなく知っているけど、実際の現場のことはよくわからない…という方もいるのではないでしょうか。ましてや医療従事者ではない方だと全く想像もつかない方もいるのでは。

はてな

私は約12年間、金沢市内の精神科病院において精神科作業療法という、いわゆるリハビリの仕事をしてきました。入職当初は右も左もわからない中で、「社会復帰部」という部署に配属されました。そこは退院した精神疾患の方が、日中の活動する場として通う「デイケア」や「デイナイトケア」があります。精神疾患の方は生活リズムを整えていくことが重要だと言われています。そのため、家から通い日中は何かしらの“活動”をすることを勧めていたのです。スポーツをしたり、手工芸といってモノづくりをしたり、パソコン、料理教室、農業、様々なプログラムが組み込まれています。そんな中で、若輩者の私がえらそうに、私より何歳も年上の方々に支援・指導などをしていくのですね。

レク

入職してすぐ、私たちの部署管轄として「福祉ホームB型」と「グループホーム」が設立されました。いわゆる退院した方が住まいをする場所です。当時はこうした受け皿的な施設がまだまだ少なく、これからは入院治療でなく地域生活であると言われはじめた時期でした。すごく感動したのを覚えていますね。日本の精神科医療では精神科病院に入院したら長期入院は当たり前!という考えが根強くありました。私が勤務していた病院も少なからずそうでした。

ご家族が

“ずっと入院させておいて下さい。お願いします!”

と言えば、二つ返事で引き受けるといった感じでした。はじめはその現実に信じられん!とどこにぶつければいいかわからないもどかしさに葛藤していましたが、怖いものでだんだんとその現実に慣れて当たり前のように錯覚していくのですね。また、世の中の精神科病院ではよくあること…と言われると、なぜか“なら仕方ないか…”といった気持ちに。情けなかったですねー。何もできない自分がいること、何にも知らない世の中があることに。自分なりに勉強して、まずは退院した人達のために何か役に立てる存在になろうと思いました。施設の当直もしました。入所者の方と夜な夜な煙草を吸って雑談したり、TV見たり、麻雀したり、遊んでいるような時間からいろんなことを学ばせて頂きました。

※きちんと真面目に業務はしていましたよ(笑)

いなくてもいい存在ではないか感じながらも、今思えば、何にもしなくても傍にいる安心感が必要なんだろうなぁと感じます。

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そんな施設も今では県内・全国、とてもたくさん存在します。病床数を削減して、退院後に利用できる場を増やしている病院も多くあります。また、障害者自立支援法、障害者総合支援法と法律も変わり、地域で受けることのできるサービスの充実が図られました。障がいの種類や程度、介護者、居住の状況、サービスの利用に関する意向等及びサービス等利用計画案を踏まえ、個々に支給決定が行われる「障害福祉サービス」「地域相談支援」と、市町村等の創意工夫により、利用者の方々の状況に応じて柔軟にサービスを行う「地域生活支援事業」があります。 サービスは、介護の支援を受ける場合には「介護給付」、訓練等の支援を受ける場合は「訓練等給付」に位置づけられ、それぞれ、利用のプロセスが異なります。まさしく地域生活中心といった時代になってきた感じが近年は特に感じます。

 

 

少し話は変わって、昔の日本の精神科医療を紐解いていくと、とても深い歴史があります。

日本で初めて「精神病院」が設立された場所は、明治8年(1875年)の京都です。その名も「京都癲狂院」。当時は「私宅監置」といった時代でした。自宅の一室や物置小屋の一角に専用の部屋をつくり、精神障害者を監置し、それを行政(内務省-警察)が管理するという制度が認められていました。

大正8年には、精神病院法が制定されました。この法律では精神障害に対する公共の責任として公的精神病院を設置することとされました。しかし、予算不足のために進まなかったそうです。昭和25年には精神衛生法が制定されました。長期拘束を要する精神障害者は精神科病院に収容することとし、私宅監置制度はその後1年間で廃止されたのです。

その後、医療金融公庫からの低利融資とスタッフの配置基準を大幅に緩和した精神科特例によって、民間の精神科病床は急速に増加、いわゆる精神科病院ブームとなり、昭和35年には病床数は約8万5千床となりました。
そして昭和39年、ライシャワー事件(以下にとても昔の新聞を見つけました)がおきました。精神疾患を患う方が、在日米国大使を刃物で刺してしまったのです。この事件をきっかけにさらに精神科入院治療は加速していったのです。精神衛生法の改正、精神科病床の整備・入院医療を中心とした施策化となり、昭和40年には精神科病床は17万床、昭和44年には25万床にまで増加しました。

昭和58年、宇都宮病院事件という日本の精神科医療を変えるきっかけとなった大きな事件がおこりました。宇都宮病院は他の精神科病院で対応に苦慮する粗暴な患者を受け入れてきた病院でしたが、「看護師に診療を行わせる」「患者の虐待」「作業療法と称して院長一族の企業で働かせる」「病院裏の畑で農作業に従事させ収穫物を職員に転売する」「ベッド数を上回る患者を入院させる」「死亡した患者を違法に解剖する」などの違法行為が行われていました。昭和58年4月、食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約4時間後に死亡したという事件もおこりました。

宇都宮病院事件は、精神障害者の人権が守られていないことに対して国内外から大変批判を浴びました。日本の精神医療のあり方や社会復帰施策が不十分なことも国際的に批判され、当時の精神衛生法を大きく見直すきっかけになりました。

 

難しく少し固い話をしてきましたが、日本が創り上げてきた精神科医療が現在そして今後、大きく変わり始めています。入院中心の医療ではなく、地域で暮らすための支援が必要となってきています。日本はまだまだ精神科病院数が多すぎると言われています。なぜならば世界一精神科病院の多い国なのです。今でも約30万床近くあるのではないでしょうか。これは世界全体の約1/5だと言われています。イタリアはなんと精神科病院はありません。過去にはありましたが、現在は0となっているのです。

イタリヤ

精神疾患の人をサポートすることは大変なことです。家族は特にその大変さを感じる事でしょう。しかし、障がい者であろうとなかろうと、人としてその人らしく生きる権利があります。

「共に生きる」

このことを実現したのがイタリアの精神科医療だと感じます。

 

日本も少しずつ精神科病院の病床数削減が実施されてきております。大きな病院は500床、1000床という規模間の病院でした。病院そのものが潰れ廃墟になっているものもあれば、まったく違う事業として活用されているものもあります。

ここ石川(金沢)ではどうでしょうか。

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精神科病院では500床の病院が最も大きい病院ですね。将来的には少しずつ少なくなっていくものと思われます。そうした中で、精神科病棟から認知症病棟に変更する、または社会復帰の一環とした就労支援スペースとして活用する、などといった有効活用が考えられるかもしれません。いや、医療という枠組みに捉われず、まったく異業種な事業とのコラボレーションが誕生するかもしれません。

 

“精神科病院体験ホテル”

 

なんていうのもアリかも…?

精神という病気そのものを特別視するのではなく、誰にでも起こりうる病気として捉え、地域で暮らす人たちが共に暮らすことができるような地域社会を創っていく、新しい発想がこれからは必要なのではないでしょうか。

 

この10年20年で日本の精神科病院も大きく変わっていくことでしょう。

 

精神科訪問看護

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