「仕事ができる人がある種の正義」・・・障害者が一般企業で居場所を確立するとき1

2016.9.6 キャリア
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さやや

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このような記事を見つけました。

 

ぼくが新卒で入った会社では、1階から2階に上がるオフィス内エレベーターがあったんですが、基本的にお客さんのために使っていただくという考え方だったので、社員は階段を使うというのが通例だったんです。それで「自分は障害者で足が悪く移動が難しいので、エレベーター使っていいですか?」と聞いたら「階段上れるよね?だったらダメ。」と言われました。「エレベーターを使うことにノーとは言えないけど、それだけの仕事をやってるの?」と言われて、「それじゃあ階段使います」と答えました。

 

社会人って、仕事できる人がある種の正義だと思うんです。毎月達成している営業マンと毎月達成していない営業マンだったら、後者が社内に居づらいのは当たり前です。

 

でも、障害者にはこの感覚がないんですよ。片手用のキーボードを準備してもらわないと困りますと言えちゃう。成果を出していないのに障害者だからという理由で相手に求めることが当然になっている。これが不思議でしょうがないんですよ。

 

引用:https://plus-handicap.com/2013/09/1564/

 

私は以前勤めていた銀行でまさにこれと同様の経験をしました。

「仕事ができたら、どんな過去があろうがどんな障害があろうがチャンスはある」

と言われたのです。

これってつまり、仕事ができないならあなたはいらないよ!ってことですよね。

(そして、私は仕事ができなかったから、今障害者施設で働いている訳です。)

「職場をリハビリの場だとは思わないでください」と言われたこともあります。

 

 

仕事ができる人がある種の正義。

この言葉の意味を、私は自らの一般企業での社会経験を通して非常によく理解できます。

 

私が障害者施設で生産性向上を目指して努力したいと考えている理由は、

一般企業で自らの居場所を作るときは、自分の都合とか障害を主張するだけでは、居場所を確立できないことを経験的に知っているからです。

 

障害者として長くその企業で勤めるときは、

自分の言い分ばかりを通していてもだめです。

結果を出さなくてはいけないのです。

 

上の事例でいくと、片手用のキーボードがなければ仕事にならない、自分の居場所を確立する際にキーボードは欠かせない、でもそれは結果を出すことで初めて通る言い分なのです。

 

 

 

生産性向上だとか結果を出すことはこうやってえらそうに記事を書いてる私にとっても難しいです。

 

私の通う障害者施設で、私のことを「生産性が高い」と言ってくれる人はどれだけいるでしょうか。

 

体調が悪いときは本当に悪いし、

仕事を休むときは休みます。

仕事を心を込めて丁寧にやっている日もあるし、

やれない日もあります。

 

あとちょっとの辛抱ができなくて、

あとからわーっと後悔するときもあります。

 

感情があふれかえって

職員の皆様に迷惑をかけてしまうときもあります。

 

 

それでも訓練を続けて、いつかは一般就労をするべきだと考えています。

 

 

障害者にとって一般就労は「挑戦」です。

社会はそんな私たちのことを障害者だから暖かく見守ってくれているでしょうか?

 

そうとも言えるし、でもそうとは言い切れないと私は考えています。

 

 

 

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