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障がい者の幸せってなんだろう?
一障がい者としてふとそう思ったので今回は障がい者の幸せについて書きたいと思います。
あくまで一障がい者として感じたことなので、今回の記事は健常者の方には共感していただけないかもしれません。
ですが、障がい者の方はもちろん、健常者の方にもぜひ読んでいただきたいです。
当たり前にできることができなくなってしまったことについて
わたしも病気が発症してからは健常者の方が当たり前に、普通にできることができなくなってしまいました。
以前は当たり前に普通にできたことが
今は頑張ってもできないという辛さや悔しさは
できなくなってしまった人間にしか理解できないと思います。
ーなぜそう思うのでしょうか?
答えは簡単です。
当たり前にできることができる人間は【できる】からです。
そして
その当たり前にできることの本当の貴重さがわかるのも、当たり前のことができなくなった人間だけです。
あくまでこれはわたし個人の考えですが、障がいをお持ちの方は少なくとも一度は思ったことがあるはずです。
言うのは簡単である。脳の伝達物質のコントロールなんてできない!
できる人間が
「なぜそんな簡単なことができないの?」
と言うのは普通のことです。
でも簡単なことってなんでしょうか?
それがその人にとって難しいことならばそれはその人にとっては難しいことなのです。
難しいことは人によって違いますが、それでも物理的に難しいことは共通しています。
そもそも物理的に不可能なことが簡単なわけがありません(わたしはこころの障がいも脳の障がいと認識しています)。
たとえば、神経を流れる電気信号や脳の神経伝達物質の分泌量なんてものは自分でコントロールできるはずがないです。
わたしは医師でも専門家でもありませんがこれくらいはわかります。
失った当たり前と、残った当たり前。そして、小さな幸せ。
しかし、たとえ当たり前にできることができなくなってしまったとしても落胆する必要はないと思います。
障がいの種類によってはその当たり前は永遠に取り戻すことはできないかもしれません。
それでもすべての当たり前を失うパターンはまずないと思います。
それならば
その失った分の当たり前の代わりに残った当たり前を大切にすればいいのです。
例を1つ上げます。
「普通に友だちと話すこと」
当たり前のことですね。
ですけど
人とのコミュニケーションを取ることが極めて苦手な私にとってはとても価値のあるものです。
それは小さな幸せと呼べるものです。
それは些細なことかもしれませんが確かに幸せです。
わたしに限らず
こころの障がいをお持ちの方はもちろん
身体的な障がいをお持ちの方も
人とのコミュニケーションを取ることに消極的になられている方が多いのではないでしょうか。
そして
人とコミュニケーションさえ取ることのできない方ならなおさら
交友関係の貴重さもご理解されていると思います。
その貴重なものは小さな幸せです。
当たり前が幸せであることに気づくこと。
これがとても重要なのかもしれません。
ですから
自分の周りには小さな幸せはいくらでもあるのです。
残っている当たり前は人によって異なりますから
自分に残っている当たり前を探してみてはいかがでしょうか?
終わりに
この記事を最後までご閲覧していただき誠にありがとうございました。
この記事を読んで一人でも多くの障がい者の方に前向きになっていただけると幸いです。
それではまた。
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