以前の記事でも書いておりますが、私は以前勤めていた会社で
統合失調症の症状が最悪なことになって、その会社を退職しました。
私が前職に在籍した3年半の間、障害者が働くことに対する理解がともに働く同僚によってばらつきがあるということを私は知りました。
まずはそのことについて詳しくお話しします。
理解のある同僚・理解のない同僚
理解のある同僚は次のような言葉をかけてくれたものです。
「障害があろうとなかろうと関係ない、仕事ができればいいんだよ」
障害者によっては、とてもプレッシャーに感じる言葉かもしれませんが
私は、とても公平な考え方であり、嬉しく思いました。
こういう考えが広まれば、障害者はハンディキャップを抱えながら仕事を頑張るだろうし、将来に希望をもって働けると思いました。
自分も役に立てる。期待されている。
といった感情が自己愛や自信をもたらしてくれるものでもあります。
ところがです。
「ヘイト」という言葉がありますが、理解のない同僚(特に女性の同僚)は「ヘイト」の感情をむき出しにされたこともありました。
例えば、私の場合だと
- 薬の知識がないのに、都合が悪くなると私に無理やり薬を飲ませようとする。
- 私が幻聴に悩んでいることを知っていながら「ブス」「気持ち悪い」などと言う(これは幻聴かも、、、今となればわかりませんが、、、)。
- 私のせいで仕事の効率が悪くなっていることを、必死で周囲や私にアピールしてくる。
こんなの序の口で、毎日毎日不愉快さを感じていました。
上司や他の同僚に相談もできなかった、、、
私はこのことを誰かに相談したか、正直に言うと記憶がありません。
相談したような気もするし、相談してない気もします。記憶自体が曖昧です。
いずれにせよ
私が受けた「ヘイト」に対して、銀行、組織としては対応していないことは明らかでした。
私の中には、「あきらめ」がありました。
「『ヘイト』をぶつけてくる同僚を指導してください!」
と私が頼んだら、周囲の時間と労力にもなり、かえって「私=障害者」の肩身が狭くなることを感じ取っていたからです。
ただでさえ、世の中一般的に「障害者を雇う=効率が悪い」というイメージがあって
今もこうやって周囲の同僚から迷惑がられているのに
さらに私が訴えてしまうことで周囲の時間や、労力をかけてしまうのでは?という思いがありました。
そんなことしたら、ますますここにいれなくなる、と。
※だけど、そんな努力もむなしくやめることになったので、どうせなら「ヘイトをぶつけてくる同僚を叱ってください!」と、上司に言えばよかったという気もしています。
「ヘイト」を指導する際のポイント
私は障害者を雇う際は「『ヘイト』が生じた場合、指導する」ということを組織や上司の役割の一つにしてほしいと思っています。
私なりに「ヘイト」を指導する際、こうすればいいのではないかという見解を以下に示します。
- 障害は病気であって、「性格」や「態度」ではない。その病気や障害な部分に焦点をあてて差別的な対応をするのはナンセンスである。
- 組織として、個人としての職業倫理の観点から、同僚の障害者に「ヘイト」をぶつける行為は会社としても評価されるものではないこと。それ自体が生産性をもたらすことはまず皆無である。
- 社会情勢として、障害者が今後ますます社会に出てくることになることが予見されている中で、障害者が働くことに協力的でない個人あるいは企業は淘汰されていく(あるいは社会から低い評価しか受けない)。障害をもった方と協調して働くことは個人の人間的な成長であり、組織の成長でもある。
私は障害者に対する「ヘイト」を「人としてどうなのか」と思っている人間のひとりですが
ですがいろんな考え方の人がいても仕方ありません。
大切なこととして、せめて会社で働く際に、障害者に対して協力的であってほしいと思うのです。
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私は障害者いじめは本当に人としてみっともないと思っています。
自分がもし障害者じゃなかったとしても、やっぱり障害者いじめはみっともないです。
知性があって品性がある人は、何よりもその「みっともなさ」に気付いて、自分にとってよくない「障害者いじめ」に加担することはないと思うのです。
私は障害者が正当に評価されたら嬉しいですし、仕事で評価された際は他の方であっても嬉しいです。
「ヘイト」は、障害者が結果を出す際の障壁以外の何物でもなく
もし本当に障害者を正当に評価する気があるのであれば
どんな企業であっても
「『ヘイト』に対して適切な指導をする」ことを上司の仕事の中に組み入れて欲しいと思います。
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