障害者の戦いの歴史~今を享受している障害者の私が感じたこと

2016.1.23 ライフスタイル
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さやや

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戦後の障害者福祉・障害者政策の歴史を紹介する番組がNHKで放送されました。

「日本人は何をめざしてきたのか 第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて」です。

 

戦後、日本は、障害のある人たちとどう向き合ってきたのか。

戦時中「米食い虫」「非国民」と呼ばれ抑圧されていた障害者。戦後、困窮する傷痍軍人への対策をきっかけに初めて公的な障害者福祉の制度が生まれた。1960年代、重度の障害がある子どもの親たちの訴えがきっかけで、国や自治体は「コロニー」と呼ばれる大規模な施設の建設を推進。障害者施設を充実させていった。

ところが1970年代、障害者たちは、閉鎖的で自由のない施設での生活に不満を訴え始めた。都立施設に入所していた三井絹子さんは「施設は社会のゴミ捨て場だ」と、都庁前にテントを貼り座り込んで抗議。そうした動きを後押ししたのが1981年、国連の「国際障害者年」。障害者も他の人と同じように地域で暮らすべきだという「ノーマライゼーション」の思想が流入、国の政策も施設から地域へと移り変わっていく。元厚生省障害福祉課長の浅野史郎さんは、「これからは地域福祉だ」と制度作りに邁進。宮城県知事に転身後は、知的障害者施設の“解体宣言”を公表した。

今年4月、「障害者差別解消法」が施行される。障害による差別をなくすため自治体や企業、一人一人の意識改革が求められる。高齢化が進み、誰もが病気や障害と無縁でなくなりつつある今、戦後の障害者政策を当事者や政策立案に関わった人たちの証言をもとにたどり、障害のある人もない人も共に暮らせる社会へのヒントを探る。

戦後史証言(番組紹介ページ)

http://www.nhk.or.jp/postwar/program/past/

より抜粋

 

 

身体を張って差別と戦ってきた障害者の歴史

 

私が障害者の手帳を取得したのが2014年のことだったのですが、この番組を見て感じたのは、同じ障害者でも、私はおそろしく楽をさせてもらっているということです。

私はかつて精神を病んだときに、病院に行き、ソーシャルワーカーを紹介してもらいました。そして障害者の手帳を取得して、今は障害者施設で働いています。

それがどれくらいありがたいことかを痛感しました。

ついこの間まで、国としての政策や法律、制度が整っておらず、差別もひどいものであったことがわかったからです。

 

私がこの番組を見てとても印象に残ったのが、「バスに乗りたい!」と言って、集団でバスの前で座り込んだり、バスに無理やり乗り込もうとする重度心身障害者の皆さんの姿です。

そこには、徹底的にそれをこばむバス会社の方と、「こいつらを早くどかせ!」と言って叫ぶ健常者の人々の姿も映っていました。1970年代のことのようです。

その頃は国も、障害者の声を深刻に受け止めていなかったようです。

 

それを見たとき、私は、自分が今福祉サービスを享受しているのは、身体を張って差別と戦った障害者の皆様がいてくれたお陰だったのだと確信しました。

自分がもし当時の人と同じ境遇だったら、ここまで身体を張って差別と戦うことはできなかったと思うのです。

「この世に生まれてごめんなさい」と失意の中泣き寝入りしていた可能性だってあるのです。でもそうすることが社会にとってプラスではないことは、今となっては明白ではないでしょうか。

 

戦いの歴史_5

障害者は迷惑をかけてもいい?

番組を見ていて、もうひとつ印象に残ったのが、「障害者は迷惑をかけていいんだ」という言葉です。

私は、障害者としてその言葉を否定もできないし肯定もできません。

私は、障害者がより社会で評価されるためには、迷惑ばかりかけていてもよくなくて、自律&自立していくべきだと思っています。しかし、実際はどうかというと、周囲に迷惑をかけていることが多々あります。

したがって、「障害者は迷惑をかけていいんだ」という言葉に否定も肯定もできないのです。

 

ただ、私は身体が比較的自由ですが、障害者の方の中には、周囲の迷惑を気にする余り、ひどく苦しんでおられる方も多いようです。

この番組を見て、障害者の人が、何をつらく感じて、何に困っているかを主張することは、迷惑とは言わないし、言ってはいけないと感じました。

先ほどのバスの事例のように、重度心身障害者が「間違っている!」と社会で声を上げたからこそ、今の日本の社会福祉の政策や法律、制度が生まれた背景があるのです。

障害者の気持ちとか視点は、これからの社会づくりに欠かせないものです。

 

障害者福祉の難しさ

障害者がずっと社会で差別されたり、隔離されたり、無視されたりしてきたのは、理由があると思います。

私が考えつく限りでは、以下のようなものです。

 

  • 障害者の痛みは健常者にはわかりづらい
  • 人の痛みは考えるのがつらくて面倒くさい
  • マイノリティ(少数派)の利益は必ずしもマジョリティ(多数派)にとって有益とは限らない
  • 障害者は生産性が低い(社会で役に立たない)
  • 障害者は障害の程度に個人差がある

 

このように障害者福祉は難しいですが、障害者福祉は放っておいたら天から降ってくるものとは違うのです。障害者が戦って、戦って、勝ち取ったものだと思います。私自身も、ひとりの障害者として、こうやって記事を書くことによって、少しでも障害者福祉への参画に携わることができたらいいなぁと考えたりしています。

 

 

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